「京風の数寄屋の技法を移植したい」という山形市の呼びかけで始まった公共の茶室「宝紅庵」(写真右)の建設は、工匠・数寄屋師の秀れた技術を存分に発揮できる場が与えられ、継承が困難とされている伝統建築技術を実践することができる絶好の機会となりました。
そこでは、山形の棟梁が中心となり、京都の棟梁が協力する「共同工房方式」とも言える新たな試みがなされたのですが、京数寄屋の技術を地方に普及すると同時に、相互の技術的な基盤を広めるきっかけともなりました。
この建設を機に、中村昌生氏(京都工芸繊維大学名誉教授・当協会理事長)指導のもと、日本各地の「公共茶室」の建設に携わる機会に恵まれました。
歴史的にみても、公共的に活用される機会の少なかった茶室・数寄屋建築が、「広く市民が利用でき、さらには茶の湯以外の用途にも適用しうる施設」として、伝統的な木造建築の技術により、活き活きとした現代における日本の建築の魅力が見直されております。